前回のラストカット、衝撃的な使徒との戦闘で幕を下ろす形に終わった第5話。
今回の話は、その使徒との決着と碇シンジ、綾波レイの関係が少しだけ動き出すと言う話だ。
今回の話は、「劇場新エヴァンゲリヲン・序」のラストに当たる話でもあり、ヱヴァンゲリヲンにとってもそれだけ力を入れた回になるため、記事後半最後には旧作テレビ版と新劇場版との違いも解説し、復習していこう。
Aパート・綾波レイと碇シンジ、両名の戦う理由は?
病院で目を覚ました碇シンジ。
隣には椅子に座り小説を読む綾波レイの姿があった。
すぐに次の作戦の指令を伝えるレイに対し、「自分はもう怖い」とこぼす。
戦う理由のない碇シンジにとって使徒との戦闘はただの恐怖でしかなく、例え自らの足で元の場所に帰ったとしてもそれは変わらないことだった。
大人たちのように自分事として考えることもできず、だからと言って「また一人になりたくない」
そんな思いでエヴァンゲリオンに乗る碇シンジと違い、綾波レイは淡々と作戦を伝え帰って行ってしまう。
ミサト発案の大掛かりな作戦が展開される中、出撃を待つ間、レイと二人きりになったシンジは、今一度「なぜエヴァに乗るのか?」尋ねる。
「絆だから」
シンジは「父さんの?」と問い返すが
「みんなとの」
と答えられる。
つい最近無理やり父に呼ばれた自分と違い、綾波レイは「みんなとの」とはっきりと答える。
意思の表情が見えない彼女は、ここで以外にも人とのつながりを大切にする姿勢を見せ、
「さよなら」
という言葉でシンジのもとをさる。
碇シンジにとってエヴァに乗る理由は何であろうか?
ミサトと一緒にいたい。
学校の友人たちを守りたい。
それとも父に。
これらはすべて他人認証だ。
幼いころ捨てられたシンジにとって人に必要とされないことは、もっとも恐ろしく自分の不安を掻き立てるものだ。
「乗らないなら帰れ」と父に突き放され
ミサトにさえ「乗る気がないなら帰ってもいい」と告げられる。
結局またエヴァに乗ることを選んだだけのシンジにとって、エヴァに乗る理由は、誰かに必要とされたいという、他人に預けた理由でしかない。
Bパート・SF科学要素盛りだくさん・使徒との決戦
使徒との戦闘シーンは、作品の中での名バトルに入る回になる。
庵野秀明氏の得意のSF科学を多用し、ミリタリー要素をふんだんに取り入れたシーンは圧巻。
一撃必殺の狙撃作戦・ヤシマ作戦
敵を正面から倒すのではなく、緻密に練った作戦で仕留めるという作戦。
日本全土の電力を一か所に集め、陽電子砲で狙撃するという、ダイナミックでワクワクする展開と、その様子を日本全土が見守るというドラマチックな展開が心を打ちます。
ヤシマ作戦の由来
作戦名の由来は、源平合戦の「屋島の戦い」において那須与一が海上の敵の船の船首に掲げた扇を射抜いた伝説をモチーフにしたものだ。
綾波レイと碇シンジ
戦いのあと、駆け寄るシンジに笑いかけるレイ。
レイの中で何か感情的な部分が芽吹いた瞬間である
他人との絆を大切にする言葉を放つ彼女だが、その表情には無機質なものがあった。
その逆に、碇ゲンドウのことになると人が変わったような行動にでる。
数少ない表所のなか、碇シンジの父ゲンドウにしか見せたことのない笑顔は、綾波レイにとっては初めて第三者に見せる表情である。
旧作エヴァンゲリオンと新エヴァンゲリヲンとの違い。
ここまでの展開はほぼ劇場版新ヱヴァンゲリヲンの内容と同じと言っていい。
第一使徒の撃墜。
碇シンジとミサトの共同生活。
第二使徒との激闘と碇シンジの逃亡。
そして第三使徒との激戦。
テレビ版より映像が綺麗で画面がシネマサイズといったこと以外目立った内容の変化はない。
だが、庵野秀明氏はヱヴァンゲリヲンをリニューアルする際、演出や作画などに大きな技術革新をふんだんに取り込んでいる
使徒のデザインと作戦展開の違い
旧作の使徒は形などは固定で作画ではあったが、劇場版にする際、コンピューターグラフィックスを使い、第3使徒の形状を有機液体状に変化する無形形態変化する形状に変えた。
攻撃・防御に移る際に見せる変化は劇場に来たファンを驚かせた。
また、ミサトが発案したヤシマ作戦もまた作戦展開が異なった。
旧作では闇討ち?に近い強襲だが、新劇場版では要塞兵器をフルに使った陽動を幾重にも重ね、陽電子砲を使ったエヴァの戦いは手に汗を握り。
自分も映画館に2回足を運ぶほどの価値があった。
まとめ・新劇場版と旧テレビ版の違い
次回から一気に新劇場版と旧テレビ版の違いが大きくなっていく。
1月23日に迎える劇場版シン・ヱヴァンゲリヲンを200%の状態で迎えられるようしっかりと抑えとこう。