挨拶
ついに公開されたエヴァンゲリオン最終章となる「劇場版シン・エヴァンゲリオン」が公開され、自分も近場のシネコンで観賞してきました。
「シン・エヴァンゲリオン」は、前作「劇場版新・エヴァンゲリヲンQ」において大きな付箋を残し、作品そのものも都市伝説や考察が数えきれないくらい上がっています。
今回はまだ、鑑賞していない方、これから鑑賞しようと考えている方に、自分が鑑賞してきた感想と、これらの疑問に庵野秀明監督がどういった答えを出したのか、ネタバレをしないようお送りしたいと思います。
エヴァンゲリオンは完結したのか?
155分と言う類を見ない長編アニメ映画を鑑賞し、1995年テレビシリーズ放送から作品を追い続けた自分の感想は、
「エヴァンゲリオンは完結した」
完成した作品は、他の類を見ない技術と革新的で独創的な内容となっており、単なるSF作品と言う概念だけで収まるには及ばず。
人間ドラマと庵野秀明監督の思いが詰まった作品となっていた。
映画公開後に放送されたNHKプロフェッショナル「庵野秀明スペシャル」からの庵野秀明監督の答え。
このことは3月22日NHKプロフェッショナル「庵野秀明スペシャル」の中でも、監督自身の口から告げられてる。
それだけではなく主要スタッフでさえ、口々に作品の完結を示唆していた。
公開前から話題となっていた伏線は回収されたのか、最新作までの軌跡
リメイクされた劇場版エヴァンゲリヲンは当初、テレビシリーズの脚本の手直しや作画を新しく書き直すといったものが予測された。
だが、公開された作品は第1作目「新劇場版エヴァンゲリヲン序」から、謎をはらんだ作品になった。
第2作目に至っては、新パイロットとし真希波マリと言うなぞの少女が登場し、ラストに至っては誰もが想像しない終わり方を迎えた
そして、第3作目に至っては、テレビシリーズの世界観から完全に逸脱してしまった。
ラストの内容に描けてい言えば、もはや次回作の内容を予測することは不可能だろう。
PV公開から話題となっていたエヴァンゲリオン新機種の正体。
公開前から期待となっていたのはやはり、新型エヴァンゲリオンの登場だろう。
Qのラストでは式波アスカの2号機と真希波マリの8号機を合わせたエヴァンゲリオン2+8号機が量産型エヴァンゲリオンをなぎ倒していくシーンが映し出され。
公開前のPVではもはやエヴァンゲリオンとして原型をとどめていないものなど、が登場した。
鑑賞した本編には、さらに改造されたエヴァンゲリオンが登場している。(PVラストのアスカのセリフ)
ループ説の可能性は説明されたのか?
エヴァンゲリオンシリーズにおいて常に考察の的になる「ループ」説。
ループ説の始まりは、本来完結したテレビシリーズの「劇場版新世紀エヴァンゲリオンAir:まごころを君に」のラストで碇シンジがロンギヌスの力を使い世界を作り替えたことからきている。
結果は自ら確かめてほしいが、その能力から、同人誌や関連書籍で多くのif(別の世界観)としての作品が広まった。
だが、この都市伝説が真実味を帯びてきたのは、リメイクされた新劇場版ヱヴァンゲリヲン序の冒頭での巨人の跡や海が赤く変わってしまったこと、新劇場版ヱヴァンゲリヲン破の公開を後に終了した、コミック版新世紀エヴァンゲリオンのラストの2つが要因となっている。
コミック版エヴァンゲリオンの特徴(執筆中)
Qのラストからのつながりは
衝撃のラストを追え、次回作へとつながるQのラスト。
「シン・エヴァンゲリオン」はもともと「新劇場版エヴァンゲリヲンQ」と同時上映だったため、すぐに最終章の「シン・エヴァンゲリオン」の公開が期待されたが、数年の月日がたった。
公開前にユーチューブ公式チャンネルから冒頭が公開され、内容を見た人にとっては、あまりにもQとかけ離れた内容に
「また変なことになってる(;^ω^)」
と思った人も多いと思う。
だが、観賞してみたが、公開されたPVはあくまで冒頭と言う意味のものだった。
真希波マリの正体は?明かされたのか?
新劇場版エヴァンゲリオン第2作となる破からの登場となる真希波マリ。
Qにおいてミサトたちヴィレと行動を共にしているが、そこでも真相は語られなかった。
コミック版エヴァンゲリオンでは、彼女の正体が判明しており。
作品自体も監修:カラーと表記されていることから、真希波マリに関していえば詳細はコミックスが一番内容が濃いだろう。
碇ゲンドウと息子シンジは最後どうなってしまったのか?
感想を言えば、今回はエヴァンゲリオンというより、その世界観を生かした碇シンジと碇ゲンドウとの物語となった。
エヴァンゲリオンはそもそも、その独特な世界観とシリアスな内容が庵野秀明監督のこだわりだと思う。
独特なカメラアングルやレイアウト、セリフ、今までの作品では爆破や戦艦などSF特撮を得意とする作風が目立った。
だがエヴァンゲリオンにかけていえば、見栄えのするエヴァンゲリオンやキャラクターよりもその世界間に魅了された人が多いだろう。
考えてみればエヴァンゲリオンはシリーズ第一話から最終話まで常に碇シンジを中心に物語が展開したが、それを裏で父碇ゲンドウは自らの願いをかなえるために常に息子碇シンジを利用してきた。
それ故、親子としてだけではなくストーリーとして常に関係が一番濃いのがこの親子になる。
エヴァンゲリオンは碇シンジの物語でもあり碇ゲンドウの物語でもあった。
シリーズを通し、主人公碇シンジは父親の掌で踊らされていた。
ミサトの案内で数年ぶりに再会を果たした碇ゲンドウから、冷徹にも目の前の使徒に対し戦うことを選択させられ。
使徒に浸食されたアスカの乗ったままのエヴァンゲリオン2号機に対し、殲滅を命じ、意を決し自らの意思で捕食された綾波レイを救出すべく出動した戦闘でさえ、ゲンドウにとっては「シナリオ」だった。
とどのつまりエヴァンゲリオンと言う作品は最初から最後まで碇シンジを中心に展開した物語であると同時に、そのすべての道筋が
「碇ゲンドウのシナリオ」なのだ。
そう思うと、テレビシリーズやコミックスに至るまで全体にわたり碇ゲンドウのシーンは他の脇役と違い多く、常に作品の根幹に絡んでくる。
まとめ・テレビシリーズから全てを見てきた自分にとって、完結した内容は納得いくものだったのか?
1995年から始まった新世紀エヴァンゲリオン。
テレビシリーズの最終話はNHKプロフェッショナル「庵野秀明スペシャル」からも、制作進行の遅延によりやむなくの最終回の仕上がりだった頃がわかる。
のぞんだ、「劇場版エヴァンゲリオン・Air:まごころをきみに」では、独特の世界観を展開し、シリーズを完結させた。
その後リメイクされた新劇場版ヱヴァンゲリヲンは、大きな技術革新を経て、さらなる人気を博すと同時に、作品自身に大きな謎を残し、今日までに至る。
最終章となる「劇場版シン・エヴァンゲリオン」はテレビシリーズ、劇場版、コミックス、新劇場版の伏線をすべて回収し、作品のテーマとメッセージを明確にしたラストだったと鑑賞後、灯里の戻る座席で感じることができた。